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一升石 2011.4.10

001(001〜003 Photo:Naoko Kanno)

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「ブリコラージュ」のコラムで協力してもらった菅野尚子さんから、面白い写真が届きました。「一升石」と言うのだそうです。仙洞御所の池の淵に敷き詰められている大変高価な石ころ。小田原の人たちが1個につき米一升と交換してもらえると聞いてせっせと集めたものだそうで、その数11万個だそうです。選定条件は、「丸い」事と「美しい」事。「ブリコラージュ」の文章を読んで菅野さんはこれを思い出したのだそうです。
「安次富さんの仰るような、選ぶ事がどれだけ大きな力を秘めているか、この石を思い出して改めて感じました」ということでした。
菅野さんの興味は以下の3つです。

(1)高岡の職人さん然り、300年前の小田原の百姓然り、たぶん誰にでも美しい石を選ぶ事が必ず出来るという事。開眼する機会を増やすにはどうしたらいいのでしょう?

(2)選ばせようと思った人のひっぱる力がやはり必要なのだろうなぁという事。「一升石」の場合、光格上皇の時代に、小田原藩主 大久保忠真がプレゼントとして考えたものらしいのですが、「丸くて玉のような、つるつるしてて白っぽい石」「池の周りにぐるっと敷き詰められるぐらいの量が欲しい・・」等々、分かりやすいゴールを設定しているはずです。当時どのような御触書を出したのか興味が沸きますよね。

(3)電子部品のパーツのように機械にかけて振り分ける訳ではないので、「これはどうですか?」と持って来た石を、検分のために中間管理職のおじさん達(又はお兄さん)が「良し」とか「だめ」等と判断していたのかどうか、と想像しても面白いです。

(1)で思い出したのは、wata-shiをガラス作家の渡瀬和恵さんとデザイン制作した時のことです。河原の石の形をした花器を制作する前に、二人で富山県の「神通川」(凄い名前!)に行き、「お互いがいいなぁと思う石を集めてみよう」ということになりました。それぞれが集めた石を見せ合って驚きました。そこにはお互いの個性が見られたからです。河原の石は、大きさや色、肌合いなど全て違います。でも、個性のフィルターを通過した石は、一つ一つに共通性はないけれど、群として選んだ人の個性を表現してしまうということです。
ですから、菅野さんの「開眼する機会を増やすには」、日々精進するしかないのかも知れません。

(2)では、富山ガラス工房の9人の作家たちと、そばちょこを制作した時のことを思い出しました。日本人なら誰でも「そばちょこ」と聞けば、「あー、あれね」と形を思い浮かべられると思います。でも実際は、そばちょこの規格があるわけではありません。はっきり言って、そばちょこを決めている基準は何も無いのです。それにも関わらず、「あー、あれね」と思っている。9人のベテラン作家たちもそうでした。非常に簡単な形なので、すぐに宙吹きで作り始めたのですが、コップやタンブラーにしか見えない。

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そこで私が見せたのは「どこまで そばちょこ?」の図005です。その答えは、一人ひとり違いました。でも、他の人のそばちょこと思う範囲を否定する根拠もない。そばちょこは図面では決められないということです。少し考えて、皆で「そばちょこ秘伝書」を作ってください!と指示しました。「秘伝書」とは、秘密にしている技を巻物などにしたためて、死に際に弟子に渡すアレです。弟子が喜んで巻物を開いたら、何も書かれていなかったなんて逸話もあるくらい秘伝書の中味は色々だったのでしょう。富山ガラス工房の「そばちょこ秘伝書」には、およそのサイズ、角のRの取り方など、具体的な制作方法も書かれていましたが、「初めて関わる人は、一度は安次富さんとお酒を飲みに行くこと」という一文も入っていました。笑。不思議なことに「そばちょこ秘伝書」を読んだだけでは上手くいかなかった人が、私が居る飲み会の後には上手くいったことがその一文を入れた理由とのことでした。それが何故なのかは今でも謎です。

006写真006は趣味で集めたあさりです。一つとして同じカタチ、サイズ、パターンはないけれども、あさりとして統一感があります。いったいどのようなデザイン指示がなされているのでしょう?ある程度科学的な説明はありますが、あさりのデザイン形成には、外的要因も複雑にからんでいるので、科学的な説明だけでは納得できません。神様のデザイン指示書を覗いてみたいものです。

菅野さんの興味の(1)は、テーマ(モチーフ)を選ぶ、(2)は、考えを伝える、(3)は、最終デザイン選ぶということになりそうです。プロダクトデザインにおいての考えの伝え方は主にスケッチや図面、最近では3DCADのデータなどですが、「そばちょこ秘伝書」のように色々とありそうです。

007wata-shi(写真007)のデザインも図面で伝えたわけではありません。渡瀬さんと二人で石集めをした後に、「何万年もかけて作られた石を単にコピーするのは失礼だよね」「ビッグバンが本当にあったとしたら、私たちの中にも長い歴史の記憶の欠片があるはずだから、自分の中にある石を作ってみよう」ということで制作したものです。完成したwata-shiはとても魅力的だったようで、イタリアでも評判になったのですが、面白い事にそのデザインは、渡瀬さんと私のどちらのセンスでもなかったことでした。
私は最後まで渡瀬さんのセンスと思っていたのですが、彼女は私の好みを作っていたつもりだったのです。つまり菅野さんの興味の(3)は、wata-shiに関する限り、なんとなく暗黙の了解で選ばれていったように思います。そういう意味ではあさりのデザインに似たところがあるのかもしれません。

菅野さんの興味から随分脱線しましたが、私なりに「一升石」を考察してみました。
私が御触書を出すとしたら、「食べたいおにぎりの形をした石を拾って参れ!褒美としてホントの米に変えてやるゾ」という内容にすると思います。そういう御触書だったら、形も大きさも色合いも大きくずれないはずです。美味しそうな(喰いたい)石というキーワードで統一できます。そう考えると、「一升石」が「個性の異なるおにぎりの大集合」に見えてきませんか?
(3)の選び方は、強制的な判断ではなく、「お主、何故そんなおにぎり喰いたいんダ?」と聞いて、面白い、あるいは納得できる返答(プレゼン)をした奴の石を本物のお米に変えてやっただろうと思います。「殿や麻呂はセレブ」(菅野さんの的確な表現)ですから、お金では買えないモノを買いたがるだろうというのが選び方の根拠です。「ほれ、あの石を見よ!」「あやつは、こう言いおった」とか、「あれを持って来た女子(おなご)は大層美しくてのう。手のぬくもりが感じられると思わぬか?」などなど、11万のストーリーを楽しんだのではないでしょうか?けれども、それはバーチャルな楽しみ。お百姓さんたちは、自分たちの個性を石に託し未来に残せただけでなく、お米も手に入れたのでした。
菅野さん、楽しめるお題と素敵な写真を提供頂きありがとうございました。